街角のネバーランド。遊技場周遊録 Vol.1 中野サンプラザボウル

by Nobuyuki Shigetake and Mastered編集部

パチンコをはじめとする日本固有のものから、海外をルーツとするビリヤードやボウリングまで。消費行動が隆盛を極めた1970年台前後に勃興した”遊技場”という文化。
さまざまな趣向を凝らした内観やインテリアから、時代感を映し出す鏡でもあった遊技場は、流行の変遷や景気の浮き沈みの影響をダイレクトに受け、確実に減少傾向を辿りながらいまも街角に息を潜めている。そこには当時の、もう少しだけ元気で、キザな日本の面影があって、ちょっぴり、不良の匂いもする。
この連載では、そんな遊技場の魅力をたっぷりとご紹介。栄えある初回は、中野サンプラザボウル。童心に帰ることを目的に足を運ぶのもいいし、現実逃避に使うのも悪くない。ここはネバーランドなのだから。

Photo:Atsushi Fujimoto | Text&Edit:Nobuyuki Shigetake

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23区の西部、約34万人の人口を抱える東京都中野区。

渋谷区、新宿区、豊島区など大繁華街を有する区とも隣接しており、鉄道以外にも渋谷駅・池袋駅から中野区内を結ぶバスがあるなど、利便性が高いことから、23区内屈指の若者人口率を誇り、かつては0~34歳の未婚率に関しても首位という、不名誉極まりない称号も獲得している。

人口の割に歩道、道路は狭く、ぎゅっと纏まった印象。

南北の繁華街には飲み屋のコミューンが点在している。

独り者が住まうのには、確かに最適かもしれない。

区の中心である中野区中野、つまり中野駅付近に丸井の本社があるが、基本的にはオフィス街としての側面は持ち合わせない、23区内でも指折りの住宅密集地区である。このことは、中野区の道路都市基盤が全般的に脆弱である由来とも言われており、中野区が、都心・副都心地域や都心隣接の下町地域のような商業地区化に至らなかった一因とされている。

と、ここまでがWikipediaの情報であるわけだが、そんな中野区のランドマーク的存在なのが、1973年創業、旧労働省所管の特殊法人だった雇用促進事業団によって建設された、中野サンプラザだ。ちなみに、設立当時の正式名称は、全国勤労青少年会館。

中野のランドマーク、中野サンプラザ。

2024年度前後を目処に、その長い歴史に幕を閉じることが正式に発表された同施設だが、「施設としての歴史やブランド、形状などのDNAを引き継ぐ」ことを前提とした建て替えであり、そして「(中野サンプラザという)名前は残したい」と区長が明言したことに、中野区民の何割かは安心しただろう。

施設の中核である約2,000席のホール以外にも、ホテルや結婚式場、レストランが入居しているほか、上部の4フロアは宿泊施設としての利用もできることは、あまり知られていない。

そして、その地下1階にボウリングサロンがあることも、多くの人は知らないかもしれない。