Vol.20 キシタトモミ(is-ness)& Mick – 人気DJのMIX音源を毎月配信!『Mastered Mix Archives』

by Yu Onoda and Yugo Shiokawa

MasteredレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する『Mastered Mix Archives』。今回登場するのはファッション・ブランド、is-nessを主宰するキシタトモミとis-nessのコレクションで音楽を手掛けるサウンド・プロデューサーのMickです。
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アートやカルチャーなど雑多なインプットソースをバックボーンに、「ジャンル」なんていう価値観をあざ笑うかのごとく、毎シーズン変幻自在でエッジィなコレクションを展開するis-ness。そのクリエーションを全面的に手がけるキシタは、業界屈指のダンスミュージックラバーとしても知られた存在だ。 一方のMickは、is-nessのための音楽制作のほか、かなりのスロー・ペースながら、2000年、2010年にリリースされたシングルが国内外のアンダーグラウンド・シーンで話題になるなど、傑出したハウス・ミュージックのプロデューサーでもある。 そんな彼らは先日閉店した青山のクラブ、LOOPで行われていた名物マンスリー・パーティ「MOOV」を10年以上に渡って主宰してきたハードコアなパーティ・フリークでもある。長年に渡る彼らの夜遊び体験は、果たしてis-nessのブランド運営やMickの音楽制作にどのように反映されているのか。「Drunk Mix」と題されたDJミックスと共に、音楽とファッションのディープなクロスオーバーをお楽しみください。

※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)

パーティの後、酔っ払って遊んで「ああ、楽しかった」っていうことじゃなく、何かを持ち帰ってこれるといいなって思っているし、実際にある。踊ってると、自分のなかで何かに気づくことがあったりもするんですよ。(キシタトモミ)

— 冒頭から個人的な話で恐縮なんですけど、今はなくなってしまったロサンゼルスのハウス系レコードショップ、WAX RECORDSが「WAX」という店のロゴが入ったTシャツを売っていて。2003年の夏だったと思うんですけど、is-nessはそのロゴを反転させた「MAX」Tシャツを発表したじゃないですか。「どれだけの人にこのドープなネタが伝わるんだろう」と、当時ものすごく驚いたと同時に、ハードコアな音楽フリークがやってるブランドであることは一目瞭然だったというか。

キシタ:ははは。ありがとうございます。(DISCOSSESSIONの一員にしてDJの)Dr.NISHIMURAさんが当時喜んで着てくれてたんですよね。

Mick:あれ、許可は取ったんでしょ?。

キシタ:取ったよ。当時、お店で働いてたDJのリトル・クリスにそのTシャツを20枚くらい送りつけて、来日した際も「これはROCKだな!」って言って着てましましたからね(笑)。

— is-nessのコレクション用の音楽を手掛けられているミックさんとの出会いは?

キシタ:ミックとは付き合いが長くて、20年くらいになるのかな?。

Mick:渋谷のDANCE MUSIC RECORDSがまだ地下にあった時代。当時、お店でよく見かける人だなっていうところから(笑)。

キシタ:当時のDMRは火曜日と金曜日がレコードの入荷日で、その日に行くと必ずいるんですよ。

Mick:昼くらいに行って、店員から「まだ入荷してないから」って言われてるのに、「いいんです」って言いながら(笑)。

キシタ:で、僕も入荷日に行くんですけど、13時に行ってもいるし、15時に行っても、閉店間際に行ってもいるし、「何なんだ、この人」って思っていたんです(笑)。

Mick:そうしたら、共通の友達がいて、クラブで紹介してもらったら、「ああ、レコ屋でよく会う人じゃん」って。付き合いはそこから始まったんですよね。

キシタ:それから一緒に遊んだり、パーティをやるようになったり。最初は2人で「JOURNEY」ってパーティを青山のLOOPで始めるんですけど、当時のLOOPでは、いま、ニューヨーク在住でTHE LOFTファミリー、そして、Soundmen On Waxのレーベル・プロデューサーをやってるTakayaくんとDJ TSU→が「CIRCUS」っていうパーティをやっていて。そのTakayaくんがニューヨークに行っちゃうということで、僕とミック、TSU→の3人で「Moov」っていうパーティを始めて、先日、移転のためにLOOPが閉店するまで、「JOURNEY」から考えると、14年間、毎月パーティをやっていたことになりますね。

— 音楽好きでも、パーティを14年間続けるのは相当なことですよね。

キシタ:パーティ以外でも、僕とミックの繋がりということでいえば、今はもう閉店してしまったんですけど、僕はis-nessを始める前に、Marboさんがやってた原宿のPERVっていうセレクト・ショップで店長やバイヤー、最終的にはスーパーバイザー的な感じで8年働いていたんですね。そのお店が一時的にレコード屋をメインにリニューアルした時に、ミックがレコード・バイヤーとして働いていたこともあったりして。

Mick:当時は大阪・心斎橋にあったDJ’s STOREが買い付けたレコードを卸してもらったり、いいレコードが揃っていたんで、色んな人が買いに来てましたね。

キシタ:ファッション関係者から音楽好きまで、ありとあらゆる人が来てたよね。SARCASTICのポール(・T)なんて、レコードを1メートルくらい積み上げて買っていったなんてこともありましたよ(笑)。

— そんなお二人の音楽遍歴を教えていただけますか?

Larry Levan『Live at the Paradise Garage』
ディスコ、ハウス・シーンに大きな影響を与えた伝説のDJ、ラリー・レヴァンの1979年のライヴ・プレイを収録したミックスCD。

Mick:高校時代、ダンス経由でヒップホップに入ったんですけど、うちは兄貴がマハラジャ系ディスコのDJを横浜でやっていたこともあって、その影響も受けつつ、ある日、「すごいDJが来るから一緒に行こうよ」ってことで訳も分からないまま連れて行かれたGOLDでプレイしていたのがラリー・レヴァンだったんですよ。フランソワ・ケヴォーキアンがサポートを務めた(ラリー最後の来日)92年の「HARMONY TOUR」ですね。そこでフロアの空気感から何から、「なんだ、これは!」って衝撃を受けて、それをきっかけにガラージ系の音楽を求めて、DANCE MUSIC RECORDSへ通うようになるんです。

キシタ:僕は実家が静岡の浜松なんですけど、CITY CAFEってクラブとか、マハラジャ、クセルクセスっていうディスコがあって、そこでヒップホップからハウスから何からごちゃまぜでかけてて、まだ若いのに週2回とか遊びに行って、DJカルチャーの洗礼を受けて。上京してからはCLUB D、CAVEやYELLOW、GOLD、Conny’s Party、西麻布のEND MAX……もう、ありとあらゆるところに遊びに行くようになるっていう。

— 20年以上遊び続けてきたお二人にとって特に重要なDJ、プロデューサーは?

Mick:いっぱいいるんですけど、今に通ずる一番最初のきっかけはラリー・レヴァン。それからトニー・ハンフリーズにティミー・レジスフォード、ティー・スコット、フランキー・ナックルズ、デヴィッド・モラレスだったりというNYスタイル、ガラージ・テイストのハウス・ミュージックに影響を受けましたね。

キシタ:そう。ラリー・レヴァンは来日するたびに行ってましたし、聴けて良かったのはCAVEでプレイしたウォルター・ギボンズ。あと、pervで働くようになってからはMARBOさんの影響も大きいですね。それ以前、シーンはNYハウス一色だったんですけど、かつて、ロンドンに住んでいたMARBOさんからヨーロッパ中の面白いダンス・ミュージックを教えてもらったり、ハーヴィーを紹介してもらって、一緒に遊んだり。ミックなんて、ハーヴィーに買い物に行かされてたじゃん?。

Mick:あ、ルーズソックスね(笑)。「何に使うの?」って聞いたら、「奥さんに履かせるんだ」って言ってて(笑)。でも、NYハウスからUKハウスへ興味が移ったのはpervに入って、MARBOさん経由でハーヴィーやゲーリー・ルーニー、ポール・トラブル・アンダースン、ラジ&クエーカーマン(現レイマン)、リズム・ドクター、イジャット・ボーイズ、モーリス・フルトンなんかを知ったことが大きかったんですね。

— ミックさんが音楽制作を始めたきっかけというのは?

Mick『Instinctuary Beat』
BlazeやLarry Heard、Timmy Regisfordといったディープハウス・アーティストの作品をリリースした今はなきCISCOのレーベル、LIFE LINEから2000年にリリースされたファーストEP。アシッドかつダビーなシーケンスが絡みつくアーバン・トライバルなビートがフロアをホールドするソリッドなハウストラックス。

Mick:トラックを作り始めたのは27、28くらいの時ですね。当時、リリースされていたレコードに興味がなくなって、自分でやってみようってところから独学で作り始めたんですけど、当時、仲がよかったCISCOの店員さんと話している時に作ったトラックのテープを渡したら気に入ってもらえて。当時、立ち上げたばっかりだったCISCOのレーベル、LIFE LINEから12インチを出してもらえることになったんです。

— それが2000年にリリースされた「Instinctuary Beat」ですね。

キシタ:でも、その後に出した10インチ・シングル「Macho Brother」が2010年だから、10年に1回しかリリースしないっていう(笑)。まぁ、でも、is-nessのホームページで使ってる音楽もミックに作ってもらっているし、いつかLPを出してもらいたいんですけどね。

— 10年越しにリリースされた「Macho Brother」はデヴィッド・マンキューソにRub N Tugのトーマス、Beats In Spaceのティム・スウィーニー、CRUE-Lの瀧見さんとか、そうそうたるDJがプレイして、国内外で話題になりましたし。

Mick『Macho Brother』
DJ NOZAKIのレーベル、10 Inches Of Pleasure Recordsよりリリースされた10年越しのセカンドEP。低くうねるベースライン、サックスやクレイジーな笑い声をフィーチャーし、ディープハウスの危うさを凝縮した傑作シングル。

Mick:いやー、これがなかなか(笑)。「Macho Brother」もTakashiから「(兄の)Keiのバースデーのサプライズとしてトラックを作って欲しい」っていうオーダーがきっかけだったし、それがなければ、あのシングルは出てなかったですからね。

— かたや、トモミくんが2001年にスタートさせたis-nessなんですけど、まず、ブランド名の由来を教えていただけますか?

キシタ:ロック・バンド、ザ・ドアーズの名前の由来にもなっているオルダス・ハックスレーの「知覚の扉」って本に”is-ness”って言葉が出てくるんですけど、そこから引用させてもらいました。哲学的な言葉で、解釈が難しかったりもするんですけど、「存在そのもの」だったり、「気持ちいいこの時間がいつまでも続けばいいな」っていうその「気持ち」を”is-ness”っていうんです。海外で”is-ness”って名前を出すと、向こうの人はスピリチュアルっぽいニュアンスを受けるらしいんですけど、商品を見せると、驚いたり、共感してくれたり、「楽しみながら作ってるね」って言ってくれるんですよ(笑)。

— コレクションの音楽は最初の段階からミックさんにお願いしたんですか。

キシタ:そう、最初からですね。まず、僕が決めた洋服のテーマをミックに伝えて、音を出しながら、「こんな感じ?あんな感じ?」って作ったりもするし、逆にミックの方から提案してもらったり、海外に行った時にフィールド・レコーディングで録ってもらった音を加工したり、色々やってるよね?。

Mick:そうだね。ただ、トモミくんのオーダーはすごい抽象的で、普通の人だったら形にするのに困るレベルなんです(笑)。でも、そこは付き合いが長いので、その辺の微妙なニュアンスを上手く汲み取っていくんですけど、その抽象的な部分もまたis-nessっていうことなんだと思うんですけどね。

— is-nessと音楽の関わりはどういうものなんでしょうね?

キシタ:洋服って、見て着て触ってっていうものじゃないですか。is-nessはその五感を超えた第六感、七感を刺激するプロダクトをコンセプトに始めたので、そこに自分が大好きな音楽が加わるのは自然なことだったし、洋服も音楽も言葉を超えた世界共通のものがあるじゃないですか。もちろん、音楽からインスピレーションを得ることも多くて、レコード・ジャケットしかり、音を聴いている時にも何かが閃いたりしますし。

— 音楽とファッションということでいえば、エコとビジネス(=メイクマネー→ヒップホップ)の関係を「DA HIPHOP ECOLIFE」というポップでいて毒々しいテーマに落とし込んだ2009年春夏のコレクションは突き抜けてて、すごかったですよね。

is-ness 2009年春夏コレクションより。エコブームを痛烈に皮肉る、故マルコム・マクラーレンもびっくりな一枚。

キシタ:L.L COOL J.K.TとかJAY-Z SANDAL、EMINEM VESTとか、そんな感じのネーミングだったんですけどね。

— はははは。そういうユーモアの感覚はis-nessに常にありますよね。