MasteredレコメンドDJへのインタビューとエクスクルーシヴ・ミックスを紹介する「Mastered Mix Archives」。今回登場するのは、2000年代前半のオルタナティヴなダンス・ミュージック・シーンにおける強力な起爆剤となったイタロ・ディスコ、コズミックを日本でいち早く紹介し、世界的にも高く評価されているディガー集団/プロダクション・チーム、DISCOSSESSIONの一員にして、オンライン・レコード・ショップ、ORGANIC MUSICのオーナーでもあるChee Shimizu。
世界をレコードの買い付けで周りながら、海外のディガーとも積極的に親交を図ってきた彼はこの6月にパーソナルなディスク・ガイド『obscure sound』を刊行。ジャズ、ロックからワールド・ミュージック、ニューエイジ、現代音楽、実験音楽まで、ダンス・ミュージックのフィルター越しに新感覚のリスニング・ミュージックを紹介するその内容はBOREDOMSのEYEやMUROが賛辞を寄せるなど、ハードコアなリスナーの間で大きな話題となっているばかりか、海外刊行も予定されており、その噂は国外へと波及している。
DJ NOBUやプリンス・トーマスほか、国内外のDJたちにもヴァイナルを提供し、その選盤眼に絶大な信頼が寄せられている彼のセレクションが誘う音楽世界とは果たして。そのヒントを投げかけるインタビューと「sketch of water」と題されたDJミックス、そして彼のディスク・ガイド『obscure sound』を頼りに、新たな音の旅を楽しんで欲しい。
※ミックス音源はこちら!(ストリーミングのみ)
収集したいという意識は自分のなかにはないかな。それ以上に次のレコードが聴きたいから、しょうがなく売ってるっていう。
— Cheeさんはイタロ・ディスコやコズミックに傾倒する以前、90年代終わり頃にヤフー・オークションでレアなディスコのレコードを売ってましたよね。当時、自分はよく買わせてもらっていたんです。
Chee Shimizu(以下Chee):あ、そうなんだ!(笑)。
— だから、個人的にCheeさんのことはDJ以前にレコード・ディーラーとして認識していたんですけど、過去にどこかのレコード・ショップに勤務されていたわけではないんですよね?
Chee:うん、働いてたことはない。叔母さんがベルギーの日本人学校で先生をやってたから、高校生くらいの頃から頻繁にヨーロッパへ遊びに行っていて、当時から好きだったレコードを向こうで買っては日本に持ち帰るってことをずっとやってて。その後、ある時期からそのレコードをヨウゾウさんのところ(高円寺のEAD RECORD)で売らせてもらうようになるんだけど、ヤフオクでレコードを売ってたのもその延長だよね。
— では、DJを始めたのは?
Chee:93年くらいかな。子供のころから主にイギリスの音楽をずっと聴いてたんだけど、80年代後半にジャイルス・ピーターソンとかノーマン・ジェイなんかのDJを知って、アシッド・ジャズとかレア・グルーヴにのめり込んでたんだけど、ある時、仕事で知り合った人から「音楽好きなの?じゃあ、今夜、いいところに連れてってやるよ」って言われて、連れていかれたのが黎明期のテクノ、トランスのパーティだった(笑)。で、その夜の音楽体験に衝撃を受けて、次の日からすぐにテクノのレコードを買いだして、繋ぎの練習を始めてから3ヶ月後くらいには人前でDJをするようになってたね。
それから96、7年くらいまではテクノをプレイしてたんだけど、常に新しいものを欲して音楽を聴いてるから、当時それほど変化のなかったテクノの音にちょっと飽きちゃってね。かといって、そのころ盛り上がってたドラムンベースとかもピンと来なかった。そんな時に2フロアある六本木の小箱でパーティをやることになって、別のフロアでハウスをプレイ出来るDJを友達に紹介してもらったら、その人のDJがすごい良かったんだよね。
— そこでハウスやガラージに開眼したと?
Chee:そう。その人はもともとダブ・バンドのベーシストだったんだけどDJもやってて、ガラージ博士みたいな人でね。その人はガラージとかハウスだけじゃなくて、テクノやレゲエとか、あらゆる音楽を聴いてたから、しょっちゅう家に遊びに行ってはガンガン教え込まれて。それが97、8年くらいかな。俺は3~4年周期で好きな音楽が移り変わっていっちゃうから、我ながら目まぐるしいなとは思うんだけど(笑)。
— さらにその数年後にCheeさんがヤフオクで売ってたガラージ、ディスコのレコードはかなり素晴らしい品揃えでしたけど、当時、レコード・ディーラーを自分の生業にしようと思ったんですか?
Chee:いや、全然(笑)。常にレコードが欲しいのにそんなにお金がないから、次のレコードを買うために致し方なく手持ちのレコードを売ってた感じ。しかも、売っては買うっていうレコードのそういうローテーションは今も続いてるっていう(笑)。
— つまり、Cheeさんは音楽の探究者であって、コレクターではないんですね。
Chee:そうだね。所有する喜びだとか、聴きたい時に手元にないと困るとか、そういう気持ちももちろん分かるんだけど、収集したいという意識は自分のなかにはないかな。それ以上に次のレコードが聴きたいから、しょうがなく売ってるっていう。自分の店(オンライン・ショップのORGANIC MUSIC)を始めたのも、レコードを商売にしちゃえばいくらでも買えるからさ(笑)。
— はははは。その後、2000年代に入って、Cheeさんは日本におけるイタロ・ディスコや“コズミック”の先駆的な紹介者、DJとして、ダンス・ミュージック・シーンで広く知られることになるわけですが、当時、海外でもまだイタロ・ディスコや“コズミック”が盛り上がる直前の時期に、そうした音楽の存在に気づいたきっかけというのは?
Chee:イタロはね、当時、教えてもらってたガラージのなかに(イタロの代表的アーティスト)アレキサンダー・ロボトニックなんかも含まれていたし、その先輩が持ってた海外DJのミックス・テープを大量にダビングさせてもらったんだけど、そのなかでもロン・ハーディがものすごい格好良くて。で、そのミックスに聴いたことのない変な曲が入っているわけ。その先輩に「この曲は何なんですか?」って訊いたら、「ああ、これ。イタロ・ディスコっていうんだよ」って。でも、当時、イタロ・ディスコなんてどこで買っていいかも分からないし、情報もほとんどないっていう状況のなかレコード屋を回ってたら、渋谷のユーロビート専門店に売ってて。そのお店の人は当時リアルタイムで海外から仕入れてたらしくて、倉庫にいっぱいあるって言うんだけど、すごい高いわけ。だから、大枚はたいてレコードを買いながら、イタロ・ディスコの全貌を徐々につかんでいったんだけど、それじゃ収まりがつかなくて、「これはイタリアへ行くしかない!」ってことで、2001年にレコードを買いに行ったの。
— えー、それはすごい行動力ですね。
Chee:それでローマへ行ったんだけど、あらかじめネットで見つけたレコード・ディーラーのところに行ったら、案の定ふっかけられて(笑)。でも、買って聴かないことには始まらないってことで大量に買って。ようやくDJが出来るくらいの量が手元に集まった2003、4年くらいからDJでもかけるようになったね。それより前は周りにイタロにハマってるDJはいなかったし、聴いてる人もいなかったから、DJも出来なくなっちゃって、ひたすら探求の日々だったな。暗く探求してるのに聴いてる音楽はチャラチャラしてるっていう、異様な暗黒時代だったね(笑)。
— 当時、オランダのレーベル、VIEWLEXXを主宰するI-Fとか、イタロ・ディスコ・リヴァイヴァルの動きも世界のごくごく一部ではありましたよね。
Chee:そう。でもヨーロッパでそういう動きがあるのは全然知らなくて。西村さん(Dr.Nishimura:元バロン・レコーズ、元CISCO HOUSEのバイヤーにしてDJ)と出会って、そのことをはじめて知ったっていう。西村さんとの出会いもまた面白いんだけど、きっかけはヤフオクで俺のレコードを買ってくれてたDJのFUMI SATOくんから「家へ遊びに行ってもいいですか?」ってメールが来て、家にあるイタロを聴かせてあげてたんだけど、「僕の友達にもこういうレコードを聴いてる人がいるので、今度紹介しますよ」って。それで会ったのが西村さんだったっていう(笑)。それでちょっと話しただけで、お互い、どれだけズブズブにハマってるかピンと来て(笑)、「じゃあ、なんかやろうよ」ってことで始まったのが「DISCOSSESSION」っていうパーティなんだよね。
— DISCOSSESSIONはその後、ディガーDJ集団として世界的にも知られるようになって、CRUE-Lから作品をリリースするプロダクション・チームへと発展していきますが、そもそもはパーティが最初だったんですね。
Chee:そうそう。で、その後、ジョニー(・ナッシュ:現Land Of Light)が2005年にDISCOSSESSIONに加わるんだけど、彼がイタリアで開催されたRED BULL MUSIC ACADEMYに参加したら、その時の講師のひとりがダニエレ・バルデッリだったっていう。バルデッリは、70年代後半から80年代前半のイタリアにあった"コズミック"っていうクラブのメインDJで、レコードの回転数を強引に変えてプレイする独自のスタイルを確立した人なんだけど。で、その講義が終わった後、ジョニーがバルデッリに話しかけたら、「これ、持っていけ」ってことで、彼のミックス・テープを大量にもらって。それをみんなで聴いたら、プレイのBPMが遅いし、ヒップホップっぽくも聞こえて、はじめはピンと来なかったんだけど、しばらく聴いてるうちに、自分が子供の頃に聴いてたニューウェイヴなんかのレコードが低速でプレイされてるのが面白くなってきて、気づいたらのめり込んでいたっていう(笑)。
— 33回転のLP収録曲を45回転でプレイしたり、45回転のシングルを33回転でプレイするバルデッリの“コズミック”は、ハーヴィーも2001年のミックスCD『Sarcastic Study Masters Volume 2』でいち早く取り入れていましたし、2000年代前半のオルタナティヴなディスコ・シーンで大きなトピックでしたよね。
Chee:ハーヴィーはどうやって“コズミック”を知ったんだろうね?
— ハーヴィーは90年代の終わりにイタリアでDJをやった時、客から「お前と似たようなスタイルのDJがいる」って言われて、バルデッリのDJ音源を大量にもらったということですね。
Chee:あ、そうなんだ。人から聞いた話だと、バルデッリとかコズミックのDJのミックス・テープが80年代終わりにイギリスへ流出したらしいんだよね。そういえば90年代のはじめ頃に外人からもらったミックス・テープが、今思うとそれっぽかったような気がするな。
— そして、イタロから“コズミック”へ。その2つは音楽的に全く違うものですよね。
Chee:そうだね。イタロは基本的にテクノやハウスと変わりないから、きっちり繋ぎながら、120前後のBPMを保つDJスタイルだよね。それに対して、“コズミック”は90BPMくらいが基本で、上がっても110くらいまでしかいかないし、レコードの回転数を変えてプレイする無茶なDJスタイルでしょ。まあ、”コズミック”に惹かれた理由はそれだけでもないんだけど、そうやって提示された新しい音楽の楽しみ方にはホント衝撃を受けたね。新しいといっても80年代に起きてたことだけど。知らなかったから、自分にとっては初体験だね。
— そして、この6月にCheeさんはディスク・ガイド本『obscure sound』を刊行されましたが、この本で紹介しているのは“コズミック”以降にCheeさんが掘り出したレコードですよね?
Chee:そう。全部ではないけど、この本で紹介してるのは自分のなかで“コズミック”が終わった、その先の音楽だね。もちろん、今もダンス・フロア向けのDJはやってるんだけど、コズミック以降、自分の音楽に対する意識ががらっと変わっちゃったんだよね。どういうことかというと、“コズミック”にハマってた時はダンス・ミュージックじゃないレコード、LPの曲もDJでいっぱい使ってたし、自分が子供の頃、聴いてた音楽を引っ張り出したりもしてたから、そういうなかで「音楽って楽しい!」っていう純粋な気持ちに戻っちゃったんだよね。
— イタロ・ディスコはディスコのなかでもゲテモノ的な音楽ですし、回転数をがらっと変えてプレイするコズミックも発想としては相当にカッティング・エッジなスタイルじゃないですか。そういう過激な音楽体験を重ねたことで、それまでの音楽観がいい意味で壊された?
Chee:それはあるね。イタロもコズミックも自分のなかでは過激な音楽体験だと思っていたからね。あと、自分の音楽観が変わった要因としては八王子のクラブ、SHELTERも大きいかな。ある時、お店から「今週の週末が空いてるから、踊らせなくてもいいし、好きにDJやってよ」っていう電話をもらって、コズミックの時に使ってたプログレとか電子音楽のLPなんかを持っていったんだけど、その時にプレイしたのはコズミックでは使ってなかった、いわゆるリスニング・ミュージックだったんだよね。
— SHELTERは音響的に素晴らしいこともあって、踊れなくても、ハマって楽しめるクラブ・ミュージックの楽しみ方を知ったと?
Chee:そう。爆音の低音だけで楽しむんじゃなく、解像度の高い音像を楽しむ音楽の聴き方を覚えちゃったんだよね。つまり、音圧の高いクラブ・ミュージックに限定されず、“音像が楽しめる、いい鳴りのいい音楽”であれば何でもOKってことになると、かけられる音楽の幅は無限に広がることになるからね。だから、自分の店で扱っているレコードも、今回の『obscure sound』も、そういう聴き方でピックアップしたレコードなんですよ。
— Cheeさんが現在扱っているのがほぼLPだったり、ジャンルもジャズや電子音楽、現代音楽、プログレッシヴ・ロックやワールド・ミュージックと、多岐に渡っているのもそういう理由があったんですね。
Chee:しかも、その多くは、低音の利いたダンス・ミュージック向けのレコードではないんだけど、自分にとってはDJツールでもあるっていう。そういう意味では、分かりやすくはないというか、微妙な世界に足を踏み入れちゃったとは思うんだけど(笑)。一見、穏やかな音楽世界なんだけど、解像度を上げると、そこにはものすごいアナーキーな感覚が浮かび上がってくるからさ。
— アナーキーであり、広い意味でのサイケデリック感覚でもあり。
Chee:まさにそうだね。あと、ヨーロッパで俺のミックスCD聴きながら友達の車に乗ってる時、「これは男のロマンティシズムの世界だ」って言われたりね(笑)、言ってみれば、幻想文学的な音楽というか、フィクション的音楽世界だよね(笑)。特定のフォーマットもなければ、呼び名もないし、便宜的に“リスニング”って呼んではいるんだけど、それはあくまで便宜的なものだからね。ただ、ここ5年くらいでそういうDJがヨーロッパから何人か出てきたんだよね。だから、買い付けに行きながら、一緒にDJしたり、つるんだりしてて。オランダのTAKOとABEL、ドイツのBASSO、イギリスのジェイミー・ティラーとか。会ったことないけどマンチェスターのムーンブーツとかも似たような感じでやってるね。あとロンドンでデヴィッド・マンキューソを呼んでるクルーの周辺にもそういうやつらがいるし、各国に何人かいる好き者と交流してる感じかな。
しかも、俺と同じくDJから始めたレコ屋として、TAKOはアムステルダムでRed Light Recordsっていう実店舗を始めたし、BASSOはgrowing bin recordsっていうオンライン・ショップをスタートさせていて、ヤバいリスニング系レコードを売ってるんだよね(笑)。しかも、みんな新しい発見をしたいから、すでに発見したレコードを店で売って金を作って、また新しい発見のためにレコードを買うっていう、その繰り返し(笑)。そういうサイクルで回ってるレコード屋は、恐らくうちとヨーロッパのその2軒くらいだろうね。
— しかも、知り合いがみんなレコード屋に転身ってすごい話ですね(笑)。
Chee:とはいえ、当たり前だけど海外でもクラブは基本的に踊るための場所だから、交流があるヨーロッパにいる連中は自由に“リスニング”パーティが出来るわけではないしね。規模や盛り上がりは別として、日本でそういうパーティをやれてることをうらやましがるくらい。日本は海外に比べるとまだ恵まれてるみたいだよ。俺の知ってる範囲ではあるけど日本のDJはみんな何でも聴いてるし、DJもその人にしか出来ないことをやってる人が多いと思う。自分としてはもっと自由に色んな音楽をかけたりしたいんだけど。ジャンル関係なしにその人にしか出来ないプレイが出来るんだったらそれでいいじゃんって。そういう意味では世界的に見ても日本のDJは一番成熟してるんじゃないかと思うね。
— それはCheeさんのディスク・ガイド『obscure sound』にしても同じことが言えますよね。この本は網羅的なディスク・カタログではなく、ジャンルや年代、国を横断して、DJカルチャーを通過した知られざるリスニング系音楽が、「オーガニック」や「エスニック」、「サイケデリック」といった抽象的なキーワードで分類、紹介されていますけど、こういうディスク・ガイドは地球上探しても他にないですよね。
Chee:踊れる音楽もたくさん載ってるんだけどね(笑)。ここで扱っているレコードは、主にヨーロッパを巡って各地でDJしながら、音楽の匂いのみを頼りに掘り下げて発見したものが中心なんで、そういう意味ではここ何年かの成果だよね。そのうえ、ジャンルやフォーマットで括れない漠然とした状態の音楽を取り上げないといけないから、きっちり章立てが出来なくて、自分の主観的なイメージで半ば強引に分類するしかなかったんだけどね(笑)。だから、紹介してるレコードは聴く人によって違う印象を抱くだろうし、「これ、違うだろ!」って突っ込みたくなるところ満載だと思うよ。
— ただ、それが網羅的なディスク・カタログにはない風通しの良さにも繋がっていると思いますし、DJカルチャーというのは音楽を既存の文脈から引きはがして、ターンテーブル上で新しい流れを作るところに痛快さがあるわけで、この本はそういう新しい音楽の聴き方を提示しているようい思いました。
Chee:俺もそう思ってるんだけど、その意図はなかなか伝わりづらいかな(笑)。ただ、扱っている音楽は多岐に渡っているから、例えば、サンプリング・ソースだとか、リエディットを作ってる人のヒントにもなり得るだろうし、ヒップホップだったり、色んな音楽を聴いてる人に楽しんでもらえるんじゃないかなって思ってるんだけどね。